永松 歩
ながまつ・あゆむ
1989年東京生。学部にて美術史を学んだ後、インターネットサービス会社にてシステム開発のPMを経験。並行してアプリやジェネラティブアートの制作を始める。2017年、Linz Kunstuniverstat Interface Culture (オーストリア)留学。2018年、IAMAS メディア表現専攻修士課程修了。
SNSに不適切なこともやってみる(恣意的・作為的・特権的な評価、お気持ちの記録)
Notionの限界をカバーする
階層型になりすぎる
検索 > 一覧がきれいじゃない
記事の関連をつくりづらい
リゾーム
10年代の「ダダ漏れ」に救われてきた
旭川に居ながら「ボストーク界隈」を感じる
意外と不適切なことをいっても怒られない
公開の場でクライアントや代理店を批判しても大事にはならない
職務には誠実でありたいが(できてないが)、心まで従属する必要はない
契約書を結ばない文化の数少ないいいところ
ただ信用は失う
Discordの部室性
衝立越しに大人がワチャワチャやっている感じ
その場に居合わせないと、会わないと得られない空気感をいかに東京以外に垂れ流すか
斎藤あきこさんのご活動でbaku89.iconが好きなのは編集者としてというより社交家としてのそうした側面
hsgn ATAK 腹パン
hsgn「全員その場に居合わせたかのように語りたがりがち」
語りがちな理由:情景・登場人物を思い浮かべただけで笑顔になっちゃいます 永松 歩.icon
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mutekプロカンファレンスにて江原さん庄野さん、のりさんで生成芸術のここ一年の動向を語らいました。聴いてくださった皆様ありがとうございました
🙏
あと「フラクタル… オブジェクト指向…」ってザワザワしてる感じの写真を撮っていただきました。
「カイジ型タグクラウド」、「ろくろ」「白ホリ」に変わる新しい業界人アー写様式
謎テック系スライド被害者の会永松 歩.icon
人からまとまった感想を書いて頂けるのが初めて
実は水野勝仁さんに、baku89.iconのWebサイトに着想を得たインターフェース論考について書いて頂いたことがある(非公開) こういう感じで、友人や知人の作り手への愛とお気持ちをグチャッと書き殴るの、良いなと思いました
やろう
話しかけづらさ
いろんな人から言われる
ウェビナーや質疑ですら、緊張してアワアワしているうちに言葉の着地点を見失うことが多いのだけど、上がり性傾向があること、喋りが得意でないことが成立しづらい年齢に近づく中で、社交スキルの低さを「怖さ」「話しかけづらさ」「寡黙さ」に転化したくなる気持ちが最近よくわかる。もっとも、コミュ障の中年が当たり前に受容されたらいいなとは思う。逆に、あんだけ話しかけづらかった業界の先輩に対して、(勝手な憶測ではあるものの) 親しみを感じるようになったのも事実
忘年会、永松さんやゆうこさんと音楽レーベルや美術の話をした過ぎて、他の方を置いてけぼりにしてしまった
悪い意味でセンスエリート的なんだと思う
「カルチャーおばけ」性において敵わない人が身近に沢山いる
Warp一つとってもimaiさん(リアルタイム世代)とか
某のエクスプレイニング感
アホさ
この数年で、いかに自分が高等教育をスキップしたアホな人間かを理解するようになった
学位への純粋な敬意
カルチャーお化け性、知性の欠如は、どれだけ文体や振る舞いを取り繕ったりしても常にバレていると思っている
誰に対して?
高岡謙太郎さん、庄野さん、CBCNET栗田さん、西尾雄太さんとか(文化面)
藤幡さん、加藤淳さん、hasaquiさんとか(人文面) ネガティブさ、ディス
その刃を自分自身にも向けていればフェアだと思っている節がある
過去のゴミだった仕事や作品を自卑する
ネガティブであることにポジティブでありたい
「良くない」ことは普通にある
最近も良くないMVを作ったが、そのプロセスで色んなスタッフの方と関われて、撮影も楽しかったので、仮に最終成果物が良くなかったとしても満たされている
分人主義的
ミームを憎んで人を憎まず
その人に寄生した感染性の高いミームや、そのミームの表現型としての作品やその人の香ばしさをディスるのはアリだが、人間存在としてのその人をディスる(人身攻撃)のは違う 「口達者なテックセレブリティ」は違うの?
「セレブリティ」な時点で、川田十夢さんや草野絵美さんのような「セレブリティ」と読んで然るべき知名度の人を除く大半の人を除外できると思っていたのが実情
和製英語的に「セレブ」 = 杉田かおるなのか
アニメーションやグラフィックデザイン、音楽についてあまりネガティブな意見を発さない気がする
なぜなら最高だから
「JAGDA」っぽさを批判する人は居るが、ぼくは肯定的
少なくとも「Appleっぽさ」「UI/UX界隈っぽさ」に比べると文化として豊穣
デザインの自己目的性
Artists' Artistこそ大事だと思っている節がある
批判の先は大体「広告」「デザインコンサル」「ビッグテック」「デジデジ業界」
割と伝統的な意味で文化左翼なんだと思う
反資本主義 - 『ファイトクラブ』好き、とかね(男らしさへの憧れ含む…)
正直、デジデジ業界はフェイクが有意に多い世界だと思ってるところがある
成果物よりも、その人の言動、文才、立ち回り、生き様、嗅覚のほうがクリエイティブ
e.g. Qantaさん、川田さん、草野さん
作品は退屈だとしても、立ち振舞いのクリエイティブさは認めている
少し違うものの、「何やってるかわからんが、ナウいものの渦中に居る」感じの元祖は高城剛?
ハイパーメディアクリエイター性
余談: (ハイパー)(メディアクリエイター) なのか、 (hypermedia)(クリエイター) なのか、どっち?
誕生日が8/18(ハイパー)
逆に川田さんは「AR」というテクノロジーと添い遂げるという意味で、覚悟を感じる
「アイディアマン」に対する不信
最終成果物の空気感、手触りではなく、その企画を言葉で聞かされたときの「ソレ、オモシロいね!」を最大化させるプレゼンテーション能力、ダジャレ能力、政治力
がゆえに人を巻き込んで、作品を完成に持っていく力がスゴい
e.g. 川村さん、佐藤ねじさん、heriさん
川村さんがHIDARIに入れ込んでいるのは、広告やクリエイティブ業界に過剰適応したことへの反動形成、ものづくりへの回帰なのかも
PARTY時代の仕事は、ソーシャルインパクトという点ですごい成果を残したものの、ひろしまアニメーションシーズンのような、純粋に「作品」として観られる場において通用するものではなかった、と誰よりも自覚していた?
その人の作品でやらんとしていることが具体的に何なのかが理解されずに評価されている
これは本人に非はない
なんとなくビジュアルやスペクタクルさにあてられて、なんかこう、すごいことをしているに違いない、と業界外から理解されている。かっこいい業界人としての憧れの対象
けど業界外で知られるセレブリティは大体そうだと思っている
落合陽一さんがoptics方面で研究者として残された成果を彼のファンも批判者もほとんど知らない
一時は憧れていたゆえの反動形成
ラジごのつーちゃんさんとの共通点